on the way

去年から放送大学に入学しているのは何度か書いてきました。

選科履修生ということで1年だけの在学。今年も改めてもう1年、選科履修生を続けることにしました。

来年はできれば全科履修生として「大学卒業」を目指してみたいなと思っています。

去年、なぜ急に思い立ったのか・・・。よくわからないんです(^^;
「いつやるの?今でしょ!」なんて流行ってますが、私の場合は「なにも今じゃなくても・・・」という状況の時でした。
個人的な事ですが、いろいろと山積していて、他にもやりたいことがいろいろあって。
そういったことが落ち着いてからでもいいじゃないか・・・と思ったりもしたのですが・・、なんかね、こう、「でも、今かな?」って思えてしまい。

結果的に去年の2学期は1単位もとることができなかったりもしましたが、去年始めたからこその出会いやいろいろな経験をすることができたこと、やっぱり良かったなって思えるのです。

そんな放送大学の仲間で、同じ北海道学習センター所属の中村ゆみさん(ペンネーム)が、「2013年度放送大学エッセイコンテスト」で、104名の作品の中から最優秀賞を受賞されました。

オフ会で一度だけお会いしたこともあります。Facebookではよくコメントなどもいただいていたり。

そのエッセイを読ませて頂いて、ものすごく感じるものがありました。

是非、皆さんにも読んでいただきたく、中村さんの許可をいただいて、ここに転載させていただきます。

on the way

北海道学習センター

中村 ゆみ

私の中で未来という言葉の持つイメージは真っ白なキャンバスに夢に向かって筆を加えてゆく姿。または製作途中のキャンバスの完成予想図である。オギャーと生まれたばかりの赤ちゃん。小学校で授業中に元気よく手を上げる生徒達。入学式や卒業式で張り詰めた表情の少年や少女。皆「未来」という言葉がふさわしい年代だ。

人生の中継地点。いや元気に暮らせるであろう標準的な年数なら、折り返しはとうに過ぎている47歳。既に、私のキャンバスには中途半端に曲がりくねった線が、アンバランスな色彩で描かれていた。その上に何を塗りたくっても、この先それが美しい風景画に仕上がることはないであろうという頃に、通信制の短期大学へ願書を出した。

理由は、やってみたい。なんとかなるだろう。自分の携わっている仕事とは直接かかわりがないけれど、異文化や語学に憧れがあった。何よりも大学という所で学んでみたかった。そのころは三人の娘達の受験や卒入学の連続で、まわりの人からは「何も今始めなくても、子育てが落ち着いてからでいいでしょう」と諭された。

が、私にとっては今だった。時に良いか悪いか、出来る出来ないにかかわらず、理屈抜きに“ポン”とスイッチを押してしまうことがある。その時はそんな気持ちだったのだろう。晴れて学生となり、頻繁に首都圏へスクーリングに通い、長時間かけて試験会場へ向かった。そんなひと時が暮らしの中のスパイスになり本当に楽しかった。そう思えるのは今ではそれが浄化された思い出であり、当時は必至の形相で息も絶え絶えだったのかもしれない。

三年間でその短大を卒業し、しばらくたった頃、知人から放送大学を勧められた。

調べてみると、授業は放送を媒体とし、面接授業は札幌の学習センターで開講されるとの事。単位認定試験も車で20分の隣町で受けられる、まさに夢のような大学だった。早速「人間と文化コース」に」編入した。

興味があり、学びたい放送科目と、面接授業も日程調節が可能な数回にしぼり登録した。

北海道学習センターがある、広大な北大キャンパスに、一歩足をふみ入れると小躍りするほどウキウキと心が弾んだ。そして、小さな田舎町で暮らす私にも、壮大な時空を超えた世界が広がったのだ。たとえば、総合科目“文学のエコロジー”との出会いによって、自分が大好きな書籍がいかにして現在の姿や流通システムになったのか。またそこに至るまでには先代達の命を削るほどの葛藤や、戦いがあることを知った。それまでただ名前を耳にしたことしかなかった異国の歴代の作家の苦悩や願い、暮らしぶりを学び、彼らが生身の人間として身近に感じられ、さらに知りたいとの好奇心も沸いてきた。そんな知のシャワーを浴び、素晴らしい先生方や学友と出会い。あっという間に卒業の日はやってきた。

そして先日、丁寧に梱包された学位記が届けられた。

次は修士選科生として学びを掘り下げようと思う。今後もずっと“道半ば”。まだまだ世の中には未知のことばかり。一般の人が一生かかって得られる知識や目の当たりにできる世界は全体規模で考えた時、ほんのわずかなのだと、学ぶほどに思い知る。だが、それを知ろうと自ら働きかけるのと、そうでないのとではその差は歴然なのだと思う。

放送大学は広い門戸で私たちを受け入れてくれる。面接授業の時、ある先生のおっしゃった言葉。「あなた達は幸せですよ。学べるのですから」が心に残る。

短大への願書を提出した時、5年後に学士の学位記を受け取ることは予想していなかった。しかしその行為の延長線上に放送大学との出会いがあった。今はあの時からすれば未来である。現在から過去を見てみると、心の欲求に素直に従ったことが頷ける未来につながったのだと体験したことになる。

未来を思い描くこと。将来の夢、こうなりたい自分。目標。そんなものがあるのに越した事はない。はっきりとしたビジョンを持つことは到達地点への近道になるのだろう。

しかし、時期はずれや今さらと思えても、今後の道がぼんやりと定まっていなくても、目の前の興味の扉を開けば、次なる扉がまた視野に入ってくる。何より、その時の自分に納得し充足感を得ることが、かけがえない一度きりの人生を創ってゆく。

過去の失敗やこれからへの不安などの想い患いをひとまず置き、今に気持ちを注ぐ事。それが知らぬ間に未来への夢を呼び覚ますことになるのかしら?と今日も自分に問うている。

コメント

  1. 読ませていただきました

    タケ先生ありがとうございます

    ”今の自分とじっくり向き合ってみます”(-_-)/~~~

    • ◆真由美さん
       はい、いろいろ考えるきっかけになってくれたら私も嬉しいです♪

  2. 難しいことは分かりませんが、

    「思い立ったが吉日」と言う言葉は好きです♪

    • ◆きなこさん
       私も難しいことはよくわかりません(^^;)
      でも勉強にしても、スポーツにしても、趣味にしても、何かを始めたいやってみたいって言う時、理屈じゃないときってありますよね~。
      うん、まさにそれ「思い立ったが吉日」だと思います(^_^)v
      でも、人間って「やらない言い訳」は、いくらでも思いつくんですよねぇ~(^^;)

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